給料に意味をつける考え方
今回は「給料に意味をつける考え方」について話をします。
大抵の人が学生時代を過ごしてきた矢先に待っているのが社会人ですよね。どこかに会社に所属をしたりはたまたはフリーランスとして活動をしたり。今は副業までやりましょうと働き者や働き方を考える人達が増えてきましたね。そんな私もお金にあまり悩まない生活はしたいなぁ〜って思ってたりします。
- なぜその給料なのかを考えるあなたが新卒で入ったばかりの社員だとした場合、会社への貢献度はどの程度でしょうか❓いきなり入社して営業成績トップでしかも他社とのアポイントから契約を取るまで一流な動きが取れているでしょうか❓ごく稀にはいるでしょう。しかし、大抵の人は先輩の動きからノウハウを学んでから仕事量が増えるかと思います。
- つまり、経験をした事がない事をやれと言われても中々前に進むのって難しいですよね。上司達から見たら守られている立ち位置にいるような状況にあるはず。まだ働き立ての人達が頂く給料は最低限の生活に必要なベースとなる位置にあると考えてみてください。歩合制だともっと顕著だと思われます。今の自分の立ち位置=給料と思っても良いかと思います。
- 中堅あたりの給料について考える社会もある程度経験して仕事のノウハウも理解して自分自身で動けて心にゆとりを持ちながら勤めることができ、後輩育成にも励んだり、もっと難しい課題に取り組んだりするのが中堅職員ではないでしょうか❓
- そんな会社の中でもリーダーシップを出したりアクティブな存在であれば新人の頃よりも給料は上がっているはず。しかし、思ったよりも上がらない。。そんな風に思っている方いると思います。例えば一年勤めて昇給額が3000円とする。5年同じ会社に勤め上げたとしても
- 昇給額は3000円✖︎5=15000円初任給が20万の所で15000円プラスして215000円この5年という長い期間をかけてこの上記のような給料だったとき上がりが多いと感じるか少ないと感じるか。感じ方は人それぞれなはず。それでも良いかと思いますがもっと貰いたいと思った時、どのような動きが必要だと思いますか❓
- ⬇️⬇️話を冒頭に戻します。社会もある程度経験して仕事のノウハウも理解して自分自身で動けて心にゆとりを持ちながら勤めることができ、後輩育成にも励んだり、もっと難しい課題に取り組んだりする。。⬆️⬆️
- じゃあ周りの同期よりも給料上げるにはどうすればいいの❓そんなのは王道がありますよね。
- 「努力」することです。自分の立ち位置を見極めた上でキチンと一歩一歩積み重ねていく。どうしたら会社に貢献ができるのかを考えると自ずと見えてくるはず。自分磨きですよね。目標を持ち、目標を達成するために必要な努力が必要です。努力といっても日々の業務を努力するのも勿論必要ですが、ここでいう努力は自分が周りが持っていない新たな武器を作る努力という意味になります。周りとは違う努力をしなさいということです。
- 周りができなくて困っている事に目を向けるという事も大事かと思います。そういった自分自身に色付けするような努力をする事が大事かと思います。そこから次へのステップ「役職」につながるかと思います。役職までなると手当が出たり昇給額が上がったりと周りとは違う努力の結果がでるはずです。
- 結論初任給=今の立ち位置周りも同じように努力している努力の方向性を作る
お金が沢山あれば好きな服も食事も良い物も買えたりそんなセレブリティー溢れる生活憧れなんですけどね。しかし、現実は現実。大抵の人が決まった給料の中で生活をしているかと思います。現在もらっている給料が安月給でやってらんねーみたいに思ってる人は見てください。
なぜその給料なのかを考える
あなたが新卒で入ったばかりの社員だとした場合、会社への貢献度はどの程度でしょうか❓いきなり入社して営業成績トップでしかも他社とのアポイントから契約を取るまで一流な動きが取れているでしょうか❓ごく稀にはいるでしょう。しかし、大抵の人は先輩の動きからノウハウを学んでから仕事量が増えるかと思います。
つまり、経験をした事がない事をやれと言われても中々前に進むのって難しいですよね。上司達から見たら守られている立ち位置にいるような状況にあるはず。まだ働き立ての人達が頂く給料は最低限の生活に必要なベースとなる位置にあると考えてみてください。歩合制だともっと顕著だと思われます。今の自分の立ち位置=給料と思っても良いかと思います。
中堅あたりの給料について考える
社会もある程度経験して仕事のノウハウも理解して自分自身で動けて心にゆとりを持ちながら勤めることができ、後輩育成にも励んだり、もっと難しい課題に取り組んだりするのが中堅職員ではないでしょうか❓
そんな会社の中でもリーダーシップを出したりアクティブな存在であれば新人の頃よりも給料は上がっているはず。しかし、思ったよりも上がらない。。そんな風に思っている方いると思います。例えば一年勤めて昇給額が3000円とする。5年同じ会社に勤め上げたとしても
昇給額は
3000円✖︎5=15000円
初任給が20万の所で15000円プラスして215000円
この5年という長い期間をかけてこの上記のような給料だったとき上がりが多いと感じるか少ないと感じるか。感じ方は人それぞれなはず。それでも良いかと思いますがもっと貰いたいと思った時、どのような動きが必要だと思いますか❓
⬇️⬇️
話を冒頭に戻します。
社会もある程度経験して仕事のノウハウも理解して自分自身で動けて心にゆとりを持ちながら勤めることができ、後輩育成にも励んだり、もっと難しい課題に取り組んだりする。。
⬆️⬆️
と冒頭に書きました。これって実は自分の同期もやっていないでしょうか❓仕事の量はたしかに新人より増えた。しかし、同期も同じようにやってるんですね。自分だけじゃなくて。あなたは周りと同じ事をしている職員という事ですね。どれだけ日々の業務が忙しい忙しいと言っていたとしても周りの仲間達も同じように忙しいんです。
給料の昇給額についても戻しますが周りと同じ仕事量なので給料も同じような
昇給の仕方になるのは必然であると思います。一生懸命やってるのに、、仕事量も増えて頑張ってるのに、、等々思うかもしれません。しかし、周りも似たような境遇です。周りも同じように努力をされています。
じゃあ周りの同期よりも給料上げるにはどうすればいいの❓
そんなのは王道がありますよね。
「努力」することです。自分の立ち位置を見極めた上でキチンと一歩一歩積み重ねていく。どうしたら会社に貢献ができるのかを考えると自ずと見えてくるはず。自分磨きですよね。目標を持ち、目標を達成するために必要な努力が必要です。努力といっても日々の業務を努力するのも勿論必要ですが、ここでいう努力は自分が周りが持っていない新たな武器を作る努力という意味になります。周りとは違う努力をしなさいということです。
周りができなくて困っている事に目を向けるという事も大事かと思います。そういった自分自身に色付けするような努力をする事が大事かと思います。
そこから次へのステップ「役職」につながるかと思います。役職までなると手当が出たり昇給額が上がったりと周りとは違う努力の結果がでるはずです。
一気にドンと給料が上がれば文句ないです。しかし、自分の身の丈にあった事をした上での給料でしょうか❓自分自身の客観視をしていけば理由は明確だし立ち位置もわかる。ここで少し私の話になりますが初任給手取りが9万円程でした。
諸々引かれてるのもありますが当時一人暮らしをしていて、給料というものの手取りが増えないかなぁ〜と思った時にたまたま行った医療系セミナーでこのような話を聞きましたので紹介します。
結論
初任給=今の立ち位置
周りも同じように努力している
努力の方向性を作る
楽しめるリハビリ職員としてしていること!
リハビリ職員って人の体を動かしたりして責任重い仕事なんじゃないの❓と思う方もいるかもしれません。たしかにそうかもしれない。
ですが、どんな仕事であれ責任はついてきます。責任のない仕事とは逆にどんな仕事なのでしょうか❓仕事というものは責任を持たせてもらう大事な仕事です。そんな責任ばかりにシフトしていると中々辛いものがあります。そこも見つつ自身が取り組んでみた事を書いていきます⬇️⬇️
:contents
1.作業療法士ってどんな仕事❓
作業療法士ってどんな仕事なの❓とよく聞かれます。中々イメージが湧かない方が多いようでよく聞かれるんですね。リハビリ職は主に3つに分けられ、それぞれの専門分野を発揮しながら患者・利用者の機能の再獲得に向けた支援をしていきます。詳しくは各協会のHPを参照してください。⬇️⬇️
で、私はその3つあるうちの一つの「作業療法士」という職業です。主には日常生活全般の困ったを共にできるようにしていく事が主とした仕事ですね。なので患者の困ったことや悩んでいる事を聞いてアドバイスをしたり時にできるようにするために物作りをしたり。色んな支援の形があります。
私の事例だと、箸の操作が上手くいかない患者に対してその人専用のフィットする箸を製作したり、または在宅に帰られる患者に対して退院前の自宅を訪問してケアマネージャー・介護機器を取り扱う業者の方達と共に生活に必要な機器の選定をしました。集中する時間を作るのを目的に作業提供をし寝たきりから日中離床する事に成功したりと、作業を通した可能性って結構あるんですよね。
2.専門外に触れる
職業としての専門性発揮意外にもいろんな現場に所属するので場所によっては専門外な場面の介入もあるかもしれません。例えば、食事が上手く取れない患者の介入場面だってあるし、デイサービスであれば送迎車から利用者の昇降介助もします。食事配膳等の場面だってあります。トイレの介助にも介護士と共に入る場合があったりなどと様々です。
所属する組織の一職員として考えると、自分の専門性以外も広い視野を持ち現場に入らねばなりません。他職種の領域も介入していく場面はどうしてもあると思います。
ですが、そういったところにも介入する事でまた違った患者の姿を見る事もできます。他職種の仕事にも触れる機会にもなり理解にも繋がります。体感する事で介入方法の指導や、リハビリにも生かす事、他職種の困っている事を知る事ができたりとメリットは割とあるんですね。私はそういった場面は好きな方でなるべく多く介入しています。他職種や家族、患者が集まるカンファレンスというものがありますが、その時にも話がしやすくなります。そうする事で共通認識というものがうまれやすいです。
私が働いて思う事はいくら自分が成績優秀で患者に携わっていたとしても相手にとっては一日24時間あるうちのほんの一部だけです。なので、自分の仕事だけをしても患者・利用者は良い方向に向かいません。
3.一人で患者は見ていない
共に他職種や患者が共通の目標に向かう姿勢が大事だと思います。介助方法だったりを介護士に指導した上で携わると残存能力を最大限活かした介助方法に自然と変わったりしますし、こういた所が大事かなと思います。
4.まとめ
専門的な話になりました。「手と手を取り合わなきゃ支援ってうまくいかないよ」という事です。それができた時って医療や福祉の仕事ってとてもやりがいがあり楽しいもんですよ❗️
交通事故から得た○○
アッキーです!
私の人生で大きな分岐点となった交通事故の話を書きます。
中学3年生の秋、トラックに撥ねられる
中学3年生まで遡ります。いつも通りの朝、学校へ向かうため自転車に乗りいつも通りの通学路。変わらない景色。すれ違う小学生の集団登校。空は晴天。特に車通りも少ない朝の道。見通しの良い交差点。しかし、何故か昔から事故が多発している交差点が一つある。
大体の理由は一時停止無視。いつも通りに通ろうとスピードは緩めず走行。こちらが優先道路。少し離れた位置から大きめのトラックが走る。距離もある。私が先に交差点に侵入。。おかしい、、速度が速いままだ、一時停止をしない。。
バアアアァァァーーーーーッッッッンンン❗️❗️
と大きな音が聞こえた瞬間に目の前が真っ暗。
意識がなくなった
数分経過後に気づいて起きあがろうとすると「動いちゃダメ❗️救急車呼んだから」と女の人の声。車のハザードランプがチカチカと見える。すぐ近くには変な方向に折れ曲がった自転車。何人かが話している声が聞こえるけどわからない。そうこうしているうちに救急車が到着。声をかけられるも何を言われているかわからない。
そしてまた意識がなくなる。次に気付いた時は夜23時頃。目を開けると横に母がいた。
母「あ❗️起きた❗️❓」震えた声だった
自「・・・何があったの❓」
母「何も覚えてないの❓トラックに跳ねられたの。わかる❓」
自「わかんない、、何で病院🏥❓」
母は悲しそうな顔で見つめる。そんな状況が全く理解できず、頭の中が働かない。体も動かない。不思議と体はちっとも痛くない。わけがわからないまま、その日は知らぬ間に眠りに落ちた。人生の中で最も最悪の日がここからスタートした。
事故をした次の朝。昨夜より頭が回る。昨夜、母親と会話をしているが実感が持てていなかった。そしてようやく実感。とんでもない事が起こったと。。 看護師が病室の窓を開ける。風が入り自分の髪がわずかに揺れる。ズキっと脳天に突き刺さる痛みが走る。目を動かすだけでも顔面全体が痛い。
母親が家から持ってきた手鏡で顔を見せてくれた。顔の左半分が腫れ上がりおでこの皮膚が血まみれでわからない状態。眉間の下は黒く穴が空いてるように抉れている。ショックだった。。もう戻れない。今まで通りの生活なんてもう送る事もできないんだろう、、そう思った。
しばらくすると担当医が入ってきた
医「まだ動いちゃダメだよ。かなり頭強く打ってるからね。」
自「はい」
医「色々説明しようと思うんだけど、聞く❓お母さんだけにする❓」
自「聞く」
医「わかった。じゃあ言うね。」「アッキー君は交通事故で、左半身打撲。及び全身至る所の骨折。擦り傷。裂傷多数。後は頭蓋骨が少し歪んでる可能性あり。まだ検査しないと分からないところもあるけど、、、今は頭に強い衝撃によって、脳浮腫という状態。頭の中が腫れあがってる。しばらくはベッドの上での生活だよ・・・正直今までの生活が送れるかは体の回復次第な所もある。少しでも良くなろうね」
自「・・・・・」
医「じゃまた顔出すよ。安静にね」
涙が出た。俺が何したっていうんだ。指先を動かしたり風が当たるだけで跳び上がるほどの痛みが全身を襲う。言葉にできない程の強烈な痛み。もう、人生終わった。 そんなことしか思えない日だった。
先生が病室を後にし尿意を催した。部屋から一番近い所へ向かいたかったが指一本動かすと脳にまで響くような痛みが走る。結局尿瓶で看護師さんにとってもらった。その後の大便までもベッド上だった。いきむ事ができず物凄く時間がかかる。そんな姿を看護師さん達に見られる。。思春期真っ只中の自分にとって自尊心はズタズタだった。
朝食は食べれず水も飲めなかった。看護師が介助し食べさせてもらった。しかし、ベッドをギャッジアップしなければならず全身に激痛が走る。身体を起こすだけで大量の汗をかいた。結局柔らかいお粥を数口食べ、水を少し飲んでその日は終わった。
衣服の着替えなんてもってのほか。 痛い事がこれほど辛く、動けない体とは人間らしい生き方が全くできず、生きる価値がないと部屋の真っ白な天井を見ながら思い続けた。「もう死んだ方がマシだ。」そう思う事しかできなかった。
入院2日目。
入院から10日
少しずつだが歩行器で歩く速度も速くなって行き身体の回復を感じた。しかし頭に響くような痛みは付いてくる。本当にこの頭の痛さはなくなるのか?病院のナースステーション前の休憩スペースで漫画を読み過ごすのが楽しみになっていた。