自己紹介
初めまして❗️アッキーです😊
東海地方にて「作業療法士」という仕事をしています。何それ❓と思う方もいるかと思います。医療機関や福祉施設で働くリハビリ職員ですね。 主に食事やトイレ等の生活に必要な動作のリハビリを担当をすることが多いそんな業務をしています。詳しくは協会のHPを検索していただけるとよくわかるかと。
今私は30代。仕事やプライベートでも様々な経験をさせていただきました。これからも沢山の事を経験していくでしょう。これまでの人生で沢山の経験した事は私の糧となり今も前を歩かせてくれます。
良いことも悪い事もありました。逆に悪いことの中の良い事や良い中の悪い事なんかもありました。単純なようで複雑なことってありますよね❓
人と接する仕事をする分、解釈が難しい事も沢山あります。作業療法士としてだけじゃなく、人との関わりの中で経験し学んだ事を発信できればなと思い立ち上げました。
長くなりますが私の自己紹介と生い立ちをかいていきますのでよろしくお願いします。
自己紹介
名前:アッキー
年齢30代 性別:男性
出身地:東海地方
ごく平凡な家庭で育つ。父は土方業、母はパート業。将来は医療従事者になる私ですが回りには医療職をしている人はいません。
学生時代
小学生時代
ゲーム・おもちゃ三昧。勉強の「べ」の字もなく遊びに費やしてました。ゲームといったらスーパーファミコンにニンテンドー64、プレステ。おもちゃはミニ四駆にビーダマン、ハイパーヨーヨー、後はデジモン、遊戯王カード、、
習い事は水泳、塾、柔道に書道。どれも理由が「友達がしていたから」です。水泳と塾は一年も満たない所で辞めています。柔道も上手く受け身がとれず痛いから練習日になると熱が出たふりをして休んでばかり。
中学生時代
遊ぶゲーム機がPS2に変化したぐらいです。友達とお笑いネタを披露し合う事が楽しくて仕方なかったですね。
勉強もほぼしていません。学年順位も360人中330番目くらいでした。平均よりも下で勉強に興味が持てませんでした。部活も、球技は得意ではないので流れるままに柔道部に所属。あまり変わらないまま練習はサボりたい放題。当然負けっぱなし。中学の後半辺りで少しだけ成果が出始め真剣に取り組む。黒帯取得。部活を引退後、、、
中学3年生の秋、通学中にトラックに撥ねられる
これが私にとっての運命の転換期になります。
交通事故の話は別記事にまとめます。
高校時代
高校卒業後は就職する予定だったので就職先が多い工業高校に進学。実際は工業系の仕事はやりたい事でもなかったので適当に過ごす。心の奥底では交通事故をしてから医療職をやりたいという思いがありつつも表に出さず。やりたい事がなくつまらない毎日。
唯一自分の得意な事が柔道。ひたすら柔道のみに打ち込んだ。しかし、学校としては力を入れていない部活だったので顧問や周りの人達はやる気のない感じだった。「1人で強くなってやる」と意気込んでいろんな道場を回った。結果は県大会止まり。
後一歩で負けてしまうことばかりで、相手は大体私立の強豪校に当たって負ける。引退してから練習環境まで考えなかった自分に後悔しました。やる気を出したのが遅すぎたのも原因と反省する。以後、二段を取得してからは健康のため程度に続ける。
高校の主な思い出はこれぐらい。学業はそれなりに成績を収めたが友人関係はほぼ皆無。一匹オオカミ状態で三年間過ごす。唯一近くの大学から柔道での声をかけてもらいましたが中途半端な気持ちになると思い断ることに。。
進路相談で思い切って医療職をやりたいと担任、親に告げ、作業療法士の養成校へ入学する。基本、頑張ってません。学生時代の半分がゲーム命でした。
強いて言えば嫌々やっていた柔道が中学3年でたまたま成績を残せました。結果、競技は違えどレスリングでの推薦が来てたのにそれも何故か蹴ってしまいました。高校も弱小柔道部でしたが個人的には全国・地方大会目指していた分悔しさはありました。
柔道続けるんだったら環境も考えなきゃなと引退してから後悔する高校時代でした。あの時レスリングに行ってたら違う自分にあってたかもしれない。真剣に柔道に向き合い強豪校に行けばさらに良い成績を納めたかもしれない。
自分に対して推薦が来たという他者が評価してくれた事の意味を考えていませんでしたね。勉強を頑張っていなかった分、少ない選択肢の中のありがたい話だったのに。
が、受け入れる勇気を持てませんでした。結局、気の合う友達もできず、あまり良い思い出はありません。友達付き合いもありません。が、唯一よかったのが担任の先生に恵まれてとても話を聞いてくれる人でした。
私の事をとても理解してくださりメンタルの面で助けられました。色んな後悔が詰まった中・高時代。後悔しまくりです。チャンスを物にできなかったタイプですね。
何も考えず強情な私は私が信じた道を行ってしまったばかりに後悔が多い道のりでした。理由はわかります。
全く自分という軸を持たずにダラダラと過ごし素直でなかった結果です。なので、唯一本当にやりたい事が見つかったといえば工業とはジャンル違いの作業療法士の養成校に入ることでした。特別何かに真剣に意気込んで頑張った経験はありません。自分自身で招いた結果だと思ってます。
作業療法士養成校時代
全く違う分野への進学に自信のない私は(やれるだけのことはやろう)と、心に決めて日々の授業に取り組む。その養成校では実習が多く現場で働く作業療法士や他職種の人達の背中を見て段々医療・福祉の仕事って素敵だなぁと実感し始め真剣に勉強に取り組む。
「障害を抱えてもその人らしさを」をモットーとしていた先生方だったのでいかに人を理解するか、一生懸命取り組むかを教えていただきました。
しかし、現場の実習や勉強量の多さに自分の中では処理がしきれない程になり専門2年生時に一度辞めようとし、先生へ話をしにいくと、自分の悩みの場合は誰しもが通る道でありそんなに大きな悩みではなかった事に気付かされる。何とか必死で学業にも実習にも食らい付き卒業をする。
が、最後の最後に国家試験に滑ってしまい国試浪人へ。養成校では学びきったと思っていたけど自分には何かが足りないという自問自答する浪人期間となる。そんな中、東日本大震災が発生。周りに引っ張られるかのように災害現場のボランティアに参加。再度、作業療法士の国家試験を受けて合格する。
ここまで読んでいただいた方は分かると思いますが選択を間違い後悔している事が多いのと自己満足してしまい国家試験に通らず自分はできたと勝手に線引きしていた自分がいました。
そんな自分を真剣に見てくれたのが養成校の先生でした。とても感謝しており今でも交流があるぐらいです。結構手がかかる捻くれた学生だったと思います。
そんな中、人との出会いで少しずつ変わっていった物事の考え方や自分の中にある軸。涙を流した事、生きていこうと強く思えた事。自分なりにもがいて乗り越えてきた事を発信していこうと思います!
私の思い
社会人となり10年以上が経過しました。沢山の人が私に手を差し伸べてくださり今があります。沢山の人との出会いが私を成長させてくれました。そんな中数年前から一つの思いが芽生え始めました。「私が困ってる事って他の人も同じように困ってないか❓」
私自身はリアルに出会った人たちが手を差し伸べてくれた事がきっかけですが、今の現代社会ではコロナ禍で人と出会うのも躊躇してしまいます。そんな現代文明の域であるネットを使えばそういった困ってる人に手を差し伸べられのではと思い今日に至ります。
中々自分のモヤモヤとしたやるせない気持ちを言葉として表現がしやすいブログはまさにうってつけ。そんなモヤモヤをスッキリした明るい笑顔になれるブログを作り上げたいのです。最後は笑っていたい。モヤモヤは今日の笑顔のためにあったんだと思えるならそれは良いものじゃないかな❓
笑顔になるために必要なモヤモヤやストレスはあります。それを出来るだけ早く緩和できる所にしたいのです。そんなわけで、よろしくお願いします